★体験談(証し)★

「証(あか)し」ってなに?

 

「証し」には、「証人」「証言」「証明」という意味合いがあります。

 

 経験した神様、イエス様、聖霊様、また聖書に書かれていることが実生活でも起きた、などの体験談をみんなに伝えることです。このようなきっかけで教会に来るようになった、このようなことがあって神様を信じるようになった、このように祈ったことが本当になった、など様々な「証し」があります。

 

 証しの中に聞き慣れない単語が出てくるかと思います。はじめての方へのページの「教会でよく出てくる言葉をチェック!」というところを参考にしてください。 

  

「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」(Ⅱコリント12:9)

 

 


日々見守ってくださっている神様(30代・男性)

数か月前の出来事ですが、仕事の昼休憩で外にご飯を食べに行きました。仕事を再開し、そのままその日は終わりました。翌日、ご飯を食べに行こうと思ったときに異変に気付きました。財布がなかったのです。基本的に夜は週末買いだめした物を食べたり自炊したりするので、財布を使わないため、気づくのが翌日になってしまいました。どこに忘れて来たのか全然思い出せず、神様に「財布が無事見つかるように。また最後どこで使ったのか思い出せるように」と仕事の小休憩の度にお祈りをしました。お祈りをしたからと言って正直100%の安心はできませんでした。帰宅中でも思い出せず、帰宅後、大変なことになってしまったと姉に話しました。「昨日お昼食べに行った店が最後じゃないの?」とアドバイスをもらい、すぐにお店に行ったところ、「それらしき財布を警察に届けた。」とのことでした。届けてもらった交番に行き、財布の特徴を伝えて身分証を見せ、無事に取り戻すことができました。

基本的に何を食べたのか等、姉に報告しないので、話すつもりは全くありませんでしたが、顔を見た途端ポロっと失くしてしまったことを口に出していました。

神様はお祈りをしっかりと聞いてくれますが、その答えは他の人を通して導いてくれることもあるということを今回の出来事を通して、改めて教えられました。そして常に見守ってくださっていることを実感することができました。


家族みんなが癒された(40代・女性)

父の蕁麻疹は約1か月続きました。原因不明で、内服も塗り薬も効かず顔や唇が腫れたり、悪くなる一方でした。皮膚科で更に強い薬を処方してもらいました。それでも効果なく、父は「もう死んでもいい」と言うくらい落ち込んでました。痒みで眠れない日々が続いていたのです。その矢先、母がぎっくり腰を起こしてしまい、しょうがなく私は両親の家に泊まり込みで手伝いに行くことになりました。その夜に、3日間父と祈りなさいと言われた気がしました。今まで家族で簡単に祈ることはあってもじっくりと祈る時間を持ったことがありませんでした。両親と妹と4人で真剣に祈りました。
父はTV大好きっ子で、病気してからは特にずーっとTVの前のソファーに座って時代劇や刑事ドラマやワイドショーを見ています。私もテレビドラマは録画してでも網羅して見るくらい好きです。この世の楽しみが優先。祈ることよりも、み言葉を求めるよりも。聖書も時々パラパラめくるくらいです。夫がよく知っています。。。
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日目の祈りの終わりに「悔い改め」が必要だと神さまは教えてくださいました。その一部がTVです。TVを熱心に見るよりも神さまとの時間を使うこと。聖霊さまは、他にもたくさん具体的に悔い改めるべき内容を教えてくれました。

2日目も祈りました。でもあまり変化はなく…「でも、3日間といわれたのでやってみよう。」

3日目の夜「少―しはましかな?でも、良くならない…祈ったけど、治らないのかな…私の気のせいだったのかも。悔い改めが足りないかー」

ところが、4日目の朝にはすっかり蕁麻疹が消えたのです。
「わー神さまは生きておられてすべてを支配されてる!神さまを信じていたけど、本当にいて下さって私たちが聖くなることを望んでいらっしゃるんだ。悔い改めの祈りをするために父の蕁麻疹と母のぎっくり腰を計画してくださったんだー!神さますごーい!」
今回のことで、生きている神さまが私たちを愛してくださっていること出逢えたこと、すべてに感謝だと思いました。病気が癒される、癒されないことどちらも神さまの御心で、治る治らないことよりも悔い改めて神さまを一心に求めるそのことが大事なんだよ。と神さまは気づかせてくれました。信仰の病にかかっていた私が一番の癒しを受けたと思います。この世の満足、この世の富や、自分の欲しかったもの、それは何にもいらない。
ただ神さまがいてくだされば。この世の必要は全て与えられるから満足し感謝すればいい。
神さまと出逢えたことが、一番の宝。「なんて自分は幸せ者なんだろう!神さまを賛美します!」の気持ちでいっぱいです。

弱い私なので、この信仰を守っていただけますように日々悔い改めて神さまを求めることができますようにお祈りし続けます。


必要を満たしてくださる主(50代・女性)

「また私の神はキリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもってあなたがたの必要をみたして下さいます。」ピリピ人への手紙419

 このみことばを神様が私に体験させてくださったのは2016年から本格的にはじまった新会堂建築を通してでした。

 神様が素晴らしい設計士と建設会社に出会わせてくださいましたから、長年祈ってきた新会堂を少人数で建設することができました。

 今再び、ひとつひとつの私達の必要を神様が満たして下さったことを考えると感謝の気持ちでいっぱいです。

 私達の教会は同じ場所に建て直しをしたため、建設中に日曜礼拝を捧げる場所を探さなくてはなりませんでした。教会から近く、大きな声で賛美でき、宗教関係にも貸してくれるところ、低コスト、全ての条件にあてはまるところが見つかるか一番の悩みでした。しかし教会の建設をして下さる建設会社の社長のご友人が、ご自身の会社の事務所を、日曜日のみ、無料で貸して下さることになりました。日曜礼拝の出席者がちょうど収まる広さ、駐車場の数もちょうどよく、大きな声で賛美ができる場所で何ひとつ不自由のない場所で約5か月日曜礼拝を捧げることができました。

また私達の教会は、60年もの歴史のある教会の為、物や本がたくさんあり、破棄するのも、保管するのもとても大変だろうと思っていましたが、これも建設会社のご好意で建設会社の倉庫で保管して下さいました。運ぶときも建設会社が手伝ってくださいました。当時の教会は男手が少なかった為、とても助かりました。

一番驚いたのは、ある日突然教会の斜め前に故紙ステーションができたことです。目を疑いました。高齢の方から小さな子まで、皆で少しずつ運び、本を処分することができました。

 他にも建設を進めていく上で、様々な問題にぶつかりましたが、設計士と建設会社の助けによってひとつひとつを乗り越え、経費も抑えて建設することができました。自分達でさえ想像することのできない細かい問題にも全て神様が助け人を備えて下さり、必要をみたして下さいました。

 会堂建設を通し、神様の存在、聖書のみことばをとても近くに感じることができました。 


洗礼の証し(女性)

私が初めに清水聖書教会に足を運んだのは、礼子姉に誘われたのがきっかけでした。その頃はいろいろなことがあって心が少し疲れていたこともあり、何かに救われたい、癒されたいという単純な思いでした。韓先生ほか皆様の温かい歓迎と讃美歌がとても心に染みたことを覚えています。 

 それから何度か通ううちに、日曜ということもあり自分の都合、用事を優先するようになり足が遠のいてしまいました、その間も礼子姉は家に何度も来て、週報を届けたり、お祈りをしてくれました。 そんな時、自分の体が病に侵されていることがわかりました。自分がこんな状況になるとは夢にもおもわず動揺してしまいました、礼子姉から私のためにお祈りをしたいから教会にきて、と言われたのですが、自分のわがままで遠のいた教会にこんな時ばかりまた頼るなんて申し訳ないと思ったのですが、皆様がこんな私を温かく迎えてくださり涙が出ました。

 イエス様を信じ、信仰している人はほんとうに優しくて素敵な人だなと思い、皆さんと共に信仰していきたい、もっとイエス様に近づきたい、と思い韓先生の勧めもあり、未熟ながら洗礼を受けさせていただくことにしました。
 今、聖書のことに対してもまだまだわからないことだらけです。イエス様は救い主として来られ、私を罪から救うために私の代わりに十字架の上で死んでくださったことを信じます。イエス様は私の罪を背負って死んでくださったので、私の罪が全部許させることを信じ、主の御名を賛美します。
 私は今、以前と比べて大きく変わったことに気づきました。それは今までの私は、人からどんな風に見られているか、評価されているか、変な人にみられてないか、恨まれていないか、そんなことばかり気にしていました。営業の仕事ということもあり損得勘定してみたり、上手くいかないと人のせいにしたり、時間もないと子供に当たったりと随分ひどいことをしたと思っています。しかし、神様にお祈りしたり、信仰生活することで徐々に神様に委ねるということを知り、そんなことは気にならなくなりました。損得でなく与えることの喜び、見返りを求めないようになってきたこと、人からどう見られるか、ではなくて自分がどうしたいか、というようになりました。 

私が病気になったことと重なるのですが、大事なことはなにか、今やることは何か、何に感謝するのか、今の自分がどれほどみんなに愛されて恵まれているか、それがわかるようになりました。生きることは限りがあるけれど、祈りや感謝に限りはありません、
全てのことに感謝することができるようになった今は病気になったことすら感謝しています。このような気持ちで毎日暮らせていて、とても幸せな日々です。
 本日、私は洗礼を受け、今日からクリスチャンとして信仰生活が始まります。新しく生まれ変わった人生の歩みです。

これからの私は神様と会話ができ、交わりができるように常に祈りを捧げたいと思います。そして神の家族であり、清水聖書教会の家族として教会中心の信仰生活をし、礼拝、奉仕、献金、伝道などに忠実にしていきたいと思います。また、社会生活においては、来年の手術後は仕事復帰し、クリスチャンとして私を支えてくれた人たちにイエス様を伝える証人となって、感謝しながら、社会の役にたつよう日々心がけたいと思います。

「すべて疲れた人重荷を負っている人は、 わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11章28節)
 この聖書のみことばは今までの人生で悲しいこと辛いことを経験した私にイエス様の包み込まれるような大きな愛を感じました。

私をこのように救いに導いてくださった神様の恵みとイエス・キリストの愛と聖霊様の働きに感謝します。


手放さない神さま(40代・女性)

私は幼い時から人見知りがひどく、学校に通うようになってからもまるっきり挨拶が出来ませんでした。11でも自分から挨拶なんてできませんでしたし、人がたくさんいる教室に声をかけながら入っていくなんて、注目を浴びてしまうみたいで嫌だったのです。もちろん、手を挙げて発表するなんてとんでもないことですし、自分から友達の輪の中に入っていったこともありません。変に冷めた考え方もしていて、同い年の子のはしゃぐ姿が、子供っぽくてとても嫌で、同じようにしたくない、という思いもありました。また、自分に対する劣等感も強く、何かを始めることにとても強い不安感を持っていました。心の安定を保つために、人一倍の努力をしてやっと自分の居場所を確保していた状態でした。

そんな私が神様を信じたのは小学校6年生の時でした。でも、信仰を持って、全てがいっぺんに解決したり問題がなくなったり、というわけではありません。私は母親と一緒に洗礼を受けたのですが、ちょうど3ヶ月後くらいにある問題が起こって、母親がまるでノイローゼのような状態になってしまいました。夜中にふらふら出て行ってしまったり、とても不安定で教会にも行けなくなりました。母親の問題が解決するまでには1年近くかかったと思いますが、その間私は、自分がしっかりしなくては、という思いと、「問題が起こったのは私のせいだ」という自責の念にとらわれていました。実は同時期、私自身にも別の問題がふりかかっていたのですが、そんな状態でしたから誰にも相談できませんでした。また、人見知りで子供っぽいことが嫌いな性格や「クリスチャンらしく振舞わなければ」という思いもあって、自分の抱えている問題や弱さを打ち明けたり、祈ってもらったり、ということができませんでした。その結果、この問題は、その後約9年間、私を苦しめ続けることになりました。本来なら、神様に全てを打ち明けて助けをいただかなければ解決するはずのないことです。でも私は、この問題を自分の手の中に握り締めて、自分の力で何とかしようとしていたのです。後になって気がついたのですが、こういう努力は、まるで役に立たないだけでなく、神様に対する思いあがり以外の何物でもありませんでした。私をつくり、愛し、心配して下さっている神様を押しのけ、自分のやり方を通そうとしたのですから。

人間は、ずっと同じ問題の中にいて、身動きがとれない状態でいると、だんだんその状態に慣れてきてしまうものです。このままではいけない、何とかしなければ、という思いがある一方でいつしか、自分だけ苦しんで済むのなら…という諦めに近い思いも持つようになっていました。正直、クリスチャンにならなければこんなに苦しむことは無かったのに、と考えたこともあります。神様の言葉を聞けば聞くほど、自分の今の状態が神様の前に正しくないことがはっきりしてくるからです。めちゃくちゃですが、「私の命をとってください」と祈ったことも一度や二度ではありません。でも、私はどんな状態になっても、神様を信じることをやめよう、とは思いませんでした。これは、神様の大きな憐れみだったと思います。もし私がまったく神様から離れてしまったら、苦しむことはなくなったかも知れませんが、本当の意味で幸いな人生を歩むことはできなくなっていたと思うからです。そんなどん底の状態にいた私が救い出されたのは、神様の一方的な働きによるものでした。私は誰にも一言も相談していなかったのに、神様がある人に祈りの中で具体的に私が抱えていた問題を示して下ったのです。それからは私が考えてもいなかったスピードで事は運び、私は自分から何一つ努力することなく、どん底から出していただいたのです。ただ2点、私がしなければならなかったことは、神様の前に素直に悔い改めることと、神様の赦しを心から信じることでした。

今、自分は悪いことばかりをしてきたからクリスチャンになる資格など無い、とお思いの方がいらっしゃるでしょうか?私は神様を知った後でも、ずっと問題を抱えて苦しんでいました。もちろんそれは早く処理するに越したことはありませんし、罪をそのままにしておいて良いということでは決してありません。でも、どんなに遠回りをしても、どんな形であれ神様を見続けていた、その一点があったからこそ神様は私を見捨てなかったと思うのです。神様は私たちの今の状態がどんなであれ、求める者を救い出すことができる方です。また、自分の人生は自分で切り開く、とお考えの方がいらっしゃるでしょうか?偉そうな事は言えませんが、自分の力でできると思っていても、本当にどうしようもない事態が起こった時、人間はまったく身動きがとれなくなるのだと思い知らされました。私自身がそうであったように、人の前では冷静さを装っていても、神様は全てをご存知です。人間の努力は自分を救うものにはならないということを私ははっきり言うことが出来ます。

 最後に、私は人見知りと劣等感が激しかったと冒頭書きましたが、今では、神様に愛されている自分を知って、ありのままの自分を受け入れることが出来るようになりました。そしてこの素晴らしい喜びを知っていただくために、たくさんの人の前でも話すことができるように変えられたのだと思っています。


イエス様の十字架は私のため(30代・女性) 

 私がどうやってイエス様に出会ったかの話をします。私は両親がクリスチャンです。お母さんのお腹の中にいる時から教会に行っていました。私も自然と教会に行きました。教会付属の幼稚園に通い、日曜日には、子どものプログラム(礼拝)に午前と午後に参加していました。そのため、神様、イエス様がいることは当たり前でした。毎週教会に行っているので聖書の話はよく知っていました。先生に質問されると先生が喜ぶ模範的な回答もスラスラと答えていました。

 私は外面の良い子で、特に教会では良い子を演じていたので、みんなに良い子だねと言われて、自分は良い子なんだと思い込んでいました。そのため、罪が私にはあまり身近に感じませんでした。十字架は私のためではなくみんなのためだと考えていました。

 イエス様を救い主と信じていたので、高校生の時に、信仰告白をしました。赤ちゃんの時に、両親が幼児洗礼をしてくれたので、今度は自分の意志でクリスチャンになると教会のメンバーの前で告白して、クリスチャンの仲間入りをしました。でも、信仰告白した後でも私の生活は何も変わりませんでした。それまでと同じように教会に行きますが、説教は聞いていると眠くなりました。賛美をしながら泣いている人を見ると、なんかやばい宗教かもと警戒する気持ちもありました。教会の人たちが先週一週間でお祈りしたことがどんなふうに聞かれて問題が解決したのかという神様の自慢話を聞くのは好きでした。その話を聞いて神様ってやっぱり生きてるんだなと感じていました。

 私の信仰が変わったのは大学生になってからです。それまでは、何か大きな変化があってイエス様を信じたわけではなかったので、みんなの前で、自分が経験した神様やイエス様の話をすることが大嫌いでした。話すことが特になかったからです。でも、大学生になって、友達作りに忙しい4月に、ある友達ができました。それまでは、友達を作る時にはいつも自分から近づいて関係を築いていましたが、その友達は先に私に近づいてくれたのでとても嬉しくなってすぐに仲良くなりました。全寮制だったので、何をするにも一緒でした。朝は寮の玄関で、学科が違うので授業を受ける教室が違っていても私の教室の前で待っていました。もちろん、食堂にも一緒に行き、同じテーブルで食べます。他の人たちは遠慮しているのか、近づいて来なくて、他の友達ができないことがストレスでした。そのうち、その友達のことが、面倒だと思うようになり、怖くなって、関わりたくないのでなんとか避けたいのにうまくいきませんでした。いなくなってしまえばいいのにと考えてそんな自分にびっくりしました。良い子だと思っていた私の中にこんなに真っ黒な気持ちがあることにショックを受けました。なんで私ばっかりこんなに悩まないといけないのか、なんで神様は助けてくれないのかと神様を恨んで、聖書も開きたくないし、賛美もしませんでした。それでも外面は良くしておきたいので、毎日ランチ前の約30分の礼拝には自由参加でしたが、参加していました。毎日違う讃美歌を歌うのですが、悩んでいた時には、不思議と毎日あなたを愛しているという歌詞のものでした。それすらも私には煩わしく感じるほどでした。ある時、ふと聖書の箇所を思い出しました。「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。」(マルコ23:34)

イエス様は今、目の前で自分を苦しめている人たちのことまでも赦してほしいと神様にお願いしたんだ。あの子がいなくなって欲しいと願っている私にもイエス様の十字架が必要だ。この時にやっと十字架は私のためだったんだと気づいたのです。それからは教会に行くのが本当に楽しくなりました。それまでは子守歌だった説教もこんな風にも考えられるのか、神様ってこんな方なんだと新たな一面を知っておもしろくなりました。やばい宗教だと警戒していたのに、今では私も涙を流しながら賛美することもあります笑。それまで嫌々やっていた教会のことも、イエス様の十字架に対する感謝の気持ちのお返しとして楽しくできるようになりました。その後、その友達は2年生から休学し、しばらくして特別に通学するようになり、ほとんど会わなくなりました。

 頭で信じていたけど(もちろんイエス様が救い主だと疑ったことは一度もありません)、心で出会えて本当に良かったと感謝しています。大学生の時の体験は今でも私の信仰の原点です。大変なことがあってもイエス様の十字架を思い出してまた頑張れます。


神は必要なものを絶妙のタイミングで備える(40代・男性)

キリスト・イエスにあるご自身の栄光と富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19)

教会では不思議と必要なことが絶妙なタイミングで備えられることがあるように感じます。 

最近、清水聖書教会ではYouTubeへ伝道のための動画を配信することがあり、動画を配信するためには動画編集が必要との認識が教会の伝道を担当する委員会ではありました。しかし、教会内で動画編集できる人がおらず、動画編集は全くやったことのない素人の私からみれば途轍もなく難しい作業であるように感じていたので委員会で動画編集の話題があったときは、携わりたくないため素知らぬ顔をしていました。そんなある日、他の教会で動画編集している友人から突然2年ぶりに連絡があって会うことになったのですが、その話を聞いた妻から動画編集を教えてもらったらとの提案があり、私は友人から動画編集技術を教わりました。そのお陰で教会のキャンドルサービスを撮影、動画編集しYouTubeへ無事に配信することができました。その友人から連絡がなければ私は動画編集を絶対にできなかったはずです。いま振り返ってみると、このタイミングで動画編集できる友人から2年ぶりに連絡が来たのは、教会の動画編集という必要をキリスト・イエスが満たしてくれたからだと感じています。イエス・キリストは全てのことを分かっており、必要なものを絶妙のタイミングで与えてくれます。また、必要な奉仕者として私を選んでくれたことにも感謝です。この奉仕を通じて一人でも多くの人に福音が伝わりますように。


ともにいてくださる主(50代・女性)

まだまだ続くコロナ渦の中、2021年は梅雨の入りも早く、天候のせいか、

長く続く自粛生活のせいか、普段考えないことを考えはじめました。

独身である私は、コロナ渦によって、将来のこと、仕事のこと、全て悲観的に考えるようになってしまいました。

そしてとても孤独を感じていました。

毎週日曜日礼拝に行き、神様のみことばを聞いて日曜日はとても元気な気持ちになりますが、

月曜日、火曜日、一週間を過ごすうちに段々と、また気持ちは落ち込み、水曜日、木曜日になると

もう疲れきって頭がパンパンになるという生活が続いてました。

神様って実際何かあっても、具体的に神様が何かをしてくれるのだろうか?

具合が悪くなっても神様が病院に連れてってくれるのだろうか?

どんどんと神様からも心が離れそうになっていました。

暗闇に自分の頭が支配されているようでした。

そんな中のある週の月曜日、朝お祈りしたことが、その日に具体的に神様に聞かれました。

それはハッキリと具体的に実現というか、祈った通りになりました。

次の火曜日も、朝お祈りした通りのことが、実現しました。

次の水曜日も、自分で諦めていた問題が、お祈りしたことによって変えられました。

3日連続してすぐに具体的にお祈りの答えがでました。

この3つの事は、私の日常の中で、そんなに起こることでもなく、お祈りを通して神様は、

ご自身の存在を示し、「私は傍にいるから心配ないよ」と言ってる気がしました。

その時、暗闇の中から、神様が照らしてくださる光の方向へ導き出された感じがしました。 

イザヤ章4110節 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。


神さまは陶器師(40代・女性)

日々の生活の中で、自分では理解し得ない、どうにもできない出来事は起こりえます。神様を信じていてもいなくても、そして必然なのか否かを問わず…。私にとっては、自分が生かされていることそのものが、「なぜ」という出来事でした。

双子として生まれた私は、生後三日しか生きることのできなかった妹を折りにつけ思い出します。もちろん、今の私の記憶の中に妹との日々があるわけではありません。そもそも、親から聞かされなければ、自分自身が双子だったことすら知らなかったのですから。

自分は生かされていて、少なくとも存在を覚えくれている人がいるのに、妹のことを覚えて思い出してくれる人はどれほどいるのだろう?せめて胎児のうちに一緒にいた自分だけでも覚えていたい、そんな思いとともに、なぜ「自分だけが」と疑問に思うのです。特に自分の無力さや不甲斐なさに飲み込まれそうになる時には。

そんな時私は、聖書の言葉を思い出します。

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。』(イザヤ書434節)神さまの愛は、私たちの能力や力にはまったく関係なく、無条件ということです。

妹は今どうなっているのか、私にはわかりません。でもそこは、私が踏み込む領域ではない、神さまに委ねることだと思っています。

自分では理由がわからない出来事も、どうしようもない事柄も、確かに降りかかってきます。悩むことも落ち込むこともあります。でもそのたびに「神さまは全てをご存知である。主権は神さまにある。私に求められているのは、ただ忠実に神さまに従うことだ」と教えられるのです。

『しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。』(イザヤ書648節)


聖書が答え、力づけてくれる(70代・女性)

 自分だけでなく、だれにも他に知られたくない思いや、人に言えない心の悩みがあると思う。そんな時祈るけれど、答えはない。じゃあ何時答えてくれるのと思ってしまうことがある。

 わたしは、2年前に松原湖バイブルキャンプで、先生から「聖書を一日10章よんでごらん」とすすめられた 。それまでのわたしは、一年に一回読むのがやっとだったので無理だと思った。やってみるかとその日から始めた。一年に3~4回のペースで読んでいる。祈りの答えは、聖書を読んでいるときに語りかけられることもあるが、すぐにではなく、時間がかかることがほとんどで、祈りを諦めてしまうことも多い。直ぐに答えが欲しいと聖書をペラペラめくっていい答えはないかと探すこともあった。それは間違っていた。自分に都合の良い答えを求めているからだと気づかされた。自分が忘れた頃に答えられたこともあった。

 「自分の言葉に神がいちいち応えてくださらないといって、なぜあなたは神と言い争うのか 神は、ある方法で語られる。

また 他の方法で語られるが、人は、それに気づかない。」(ヨブ33:14)

神が働いていることに自分は気づいていないのだと教えられた。

 「主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(申命記31:6)私たちを見捨てない神は、聖書を読み進めると働いて答えてくれる。それが、1年以上経って答えられることもあったり、直ぐに答えられたりすることもあった。神様の答えは、自分が考えたものとは、まったく違う方法で答えられ、思いもよらないこともあった。人に頼るのではなく、偶像に頼るのではなく、神に心のうちを打ち明けるとき、答えは必ず示されることを知った。

 「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(Ⅰサムエル16:6)


背を向ける者でも受け入れて下さる憐みの神様(40代・女性)

 洗礼を受け、清水に戻り教会を探すことに。そういえばあの交差点に赤い十字架の教会があったな、と思いつきで訪ねましたが温かく迎えてくださり転会させていただきました。当時は信じて救われた嬉しさ、賛美が楽しい、同じく救われた方々と交流する喜びが教会に足を運ぶ理由になってた気がします。教会も他の暮らしもただ楽しく充実した20代前半の日々。アルバイト先で正社員で雇ってもらえる話の中で礼拝のために日曜日だけは遅番にしたいと申し出るも即却下、仕事の都合に合わせ遅番の時だけ教会へ。同時期に友人(今の夫)から教会に行くことに反対され礼拝にやってきても憂鬱、心ここにあらず。これが悩み悲しみの原因になり礼拝の場に居るだけで苦しく辛くなり途中で帰ったり、仕事遊びを優先させ、ついには礼拝に行くことも止めてしまいました。教会から離れイエス様を信じて救われたこと、神様がおられることなど無かったかのように過ごし数年経ちある講座で知り合った女性と親しくなりました。信頼して彼女の就職先の東京に泊りで会いに行った日にある宗教の誘いを受けました。その場では一応キリストを信じ洗礼を受けたと話して断りましたが、何年も離れているのに人に対して‘’私はキリストを信じている‘’なんて、言えるの?一体自分は何者なんだ?と自問させられる出来事でした。 

 その数年後牧師夫妻が他の教会に異動されると聞きました。教会に行くことを反対された時、悩みの相談に乗り助けて下さり、週報と共に手紙で気遣い続けて下さったことへの感謝と申し訳なさと共に私は一体何をしてるんだ?という思いが急に襲いました。これがきっかけとなり、もう一度教会に行く決心をしました。(教会員の方々が、イエス様が祈っていて下さったことを後で知りました) 私が神様から離れようとして忘れてしまっていても、神様は私を忘れたりしないで離れずいつも一緒におられたんだと、振り返ってみると改めてその通りです。当時はこれに気づいていても気づかないふりをしていました。でも自分の中で問題が大きくなった時に神様に頼りたい、聖書が必要と心のどこかで求め始めた時きっかけと決心が与えられました。イエス様を信じる信仰生活が何なのか、どんな恵みがあるのかも知らず、わがままな性格な私(その後の信仰生活の中で神様のみことばによって矯正されてる最中です^-^;)をも見捨てずに導いて下さいました。こうして信仰生活をゼロから新しくスタートさせていただきました。『神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすればそれに加えて、これらのものはすべて与えられます』(マタイ6章33節)


仕事の中にも働いてくださる神さま(30代・女性)

 私が今働いている会社で所属している部署は社長直轄の部署で、約二ヶ月に一度、社長に活動の進捗報告をしています。私はまだ管理職ではないので報告会の時は聞いているだけだったのですが、ある時からその報告にスピーカーとして加わることになりました。初めての報告の時、準備の段階からとても不安でした。社長からどんな質問をされるだろう、質問にうまく答えられなかったらどうしよう、そもそも社長から見て私が担当しているプロジェクトの進捗が思わしくなかったらどうしよう・・などなど。まだ起きてもいない様々な不安なことに私は支配されて、前日の夜には緊張はピークに達していました。そんな中、私を助けてくれたのはやはり神さまでした。不安で押しつぶされそうな私に神さまは御言葉(みことば=神さまのことば、聖書)で励ましてくれました。

 主は彼に仰せられた。『だれが人に口をつけたのか。だれが口をきけなくし、耳を聞こえなくし、あるいは、目を開いたり、盲目にしたりするのか。それはこのわたし、主ではないか。さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。』」(出エジプト記411節、12節) 

 これは、神さまがモーセに語られた御言葉です。イスラエルの民はエジプトで奴隷のように働かされ、非常に苦しめられていました。この苦しみから救うため神さまはイスラエル人をエジプトから逃れさせようとし、そのためのリーダーとしてモーセを選びました。神さまはモーセに「エジプトの王様のところへ行き、イスラエル人をエジプトから出て他の土地へ行かせるように言いなさい」と言いました。しかしモーセは拒みます。そんなモーセに神さまは何度も奇跡を見せて、根気よく神さまが助けてくださることを示しました。それでもモーセは「私は口下手でうまくしゃべれません」と頑なです。そんなモーセに神さまが語った言葉が上記の御言葉です。

 この御言葉を読んで、私の不安はなくなりました。当日どんな質問をされても、神さまが助けてくださる、どう答えるべきか、神さまが言葉を与えてくださるから大丈夫だ、と安心して眠りにつくことができました。

 報告の時、話をしている間も神さまは私のそばにいて下さり、緊張せずに話すことができましたし、質問も特になく私のパートは終了しました。神さまが助けてくださったおかげです。ハレルヤ!

 日々、仕事をする中でも神さまは私のそばで助けてくださることに感謝しています。


神様は覚えている(30代・女性)

 私は牛丼好きで月に1回は必ず食べています。牛丼屋の中でも、味が濃い「す〇家」の牛丼が一番好きです。いつもネギだく、つゆだくだくだくで頼み、たっぷり七味をかけて食べます。でも家の近くにあった「す〇家」は2店舗ともなくなってしまいました。家の近くにはないので、仕事帰りに、駅に向かう道の途中にある、「松〇」で牛丼を食べるようになりました。

去年12月に、仕事で使っている駅の近くの24時間営業のそば屋さんが閉店しました。ここに「す〇家」ができれば、仕事帰りに食べれると思いました。ここに「す〇家」ができるようにと、その前を通りながら出勤、退勤のときに祈っていました。結局そこには、何の店も入らず、そのビルの人だけが使えるエントランスのようなスペースになりました。そこで「私のお祈りは聞かれなかった。残念」と思い、もうお祈りはしなくなりました。

 ところが、今年4月にいつも使っている家の最寄り駅の駅ビルの中に、なんと「す〇家」がオープンしたのです!オープンして1週間後に気づいたのですが、気づいた次の日にさっそく行きました(笑)。わあ!神様からのごほうびだと最初は喜んだのですが、考えてみたら、ごほうびではなくて、以前、そば屋の前を通ったときのお祈りがきかれたんだと気づきました。祈っていたことをすっかり忘れていました。神様は本当にすごいです。祈っていた本人が忘れていたことさえも叶えてくださいました。家から駅まで歩いて5分もかかりません。しかも仕事場の近くの駅だと週末は利用できないけど、ここだといつでも行けます。家から近いので、持ち帰りにも便利です。24時間営業のため、前より利用頻度が高くなってしまいました。スーパーの帰りなど誘惑に抗うのが大変です(笑)。

このようにお祈りがきかれることで、神様が生きていることを実感することがたくさんあります。みなさんはどんなときに神様の存在を感じますか。


神様が守ってくださった(60代・女性)

 外に自由に出られない、外食もあまりできない、同じことを言っているコロナのニュースにもストレスを感じて、ウンザリしている今だからこそ、ずいぶん前のことですがこの証しをしたいと思います。クリスチャンになる前の出来事です。

 結婚しようと思って付き合っていた人がいましたが、母のあまりにも激しい反対に負けてしまい別れました。嫌いになって別れたわけではないので心が苦しくて眠れない夜が続きました。普段は仕事で紛らわせていましたが、その日は休みの日で、また別れた人の誕生日だったので朝からぼーっとしていました。午後、チャイムが鳴ったのでドアを開けると見知らぬ女性が立っていました。展示会があるから見に行きましょうと誘われてついて行きました。

大きな会場でいろんなものがありましたが、壺を勧められました。その壺をきれいな布で拭きながら祈ると願いがかなうと言われ、壺を買って家に持ち帰りました。その夜、変な夢を見ました。亡くなった父がすごく喜んで、ニコっと笑っていて、その後ろで亡くなった祖母がすごく悲しそうに泣いています。びっくりして目が覚めました。「え!どうしてこんな夢を見るんだろう。おかしいな」父と祖母の夢を見るのは二人が亡くなってから初めてのことだったので、気になりました。父はイエス様を信じずに死んだから今地獄に落ちて苦しんでいるはずなのに夢ではすごく喜んでいた。祖母はイエス様を信じていたから今は天国で楽しく過ごしているはずなのに。なんで悲しそうにしていたんだろう。どうして夢に出て来たんだろう。今日私が壺を買って来たことが原因ではないかと考えました。これは神様が悲しんでおられるから祖母が夢の中で泣いたんだ。父が喜んでいたのは悪魔が喜んでいるということだったんだなあと思うようになりました。

次の日、さっそく電話をして壺を返すと伝えました。お金は返さない、忙しいと言うので早く来ないと壺を壊すと言いました。すると、1週間後に壺を取りに来ました。その夜、また夢を見ました。今度は祖母がニコニコ笑っていて、父がその後ろで悔しそうに泣いていました。ほっとしました。祖母が笑っているのは神様も喜んでいるからだと思いました。

今、私はクリスチャンとして生活しています。壺のことを考えると、気づかせてくださった神様の限りない愛に感謝するばかりです。壺を売っていたのは統一教会でした。神様が夢を見させてくれなかったら統一教会のメンバーになって、救われないまま悪魔の餌食になっていたでしょう。神様はまだイエス様を信じていなかった私を助けてくださいました。聖書にはこんなみことばがあります。(エペソ人への手紙1章4~5節)「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」

今、コロナ過にあってみんな大変な思いをしています。経済的な部分、精神的な部分、肉体的な部分、心配なことが後を絶ちません。心配したからといって問題は解決せず、ますます焦っている人がいるかもしれません。 

イエス様は私たちに平安を与えてくださいます。助け、慰め、励ましてくださいます。心の扉を開いてイエス様に会って私と同じように安らぎを感じてもらいたいです。近くの教会をノックするのも良いかもしれません。または、聖書を読んでみませんか。


祈りは神様とのコミュニケーション(50代・女性)

昨年の3月末、雇用契約が満了となり、それから約9ヶ月の間、無職の状態が続きました。これまでずっと仕事をしてきた私にとって、仕事を失うことは、社会の中で自分の居場所を失くすような感覚であり、その喪失感ははかりしれないものがありました。最初の内は、これまで忙しかったこともあり、少しのんびりするのもいいかなと楽観的に考えていましたが、コロナ禍で求人が減少したことに加え、年齢的なこと、車の運転ができないことがマイナス要因となり、なかなか仕事が見つからない現実に、徐々に焦りを感じ始めました。幸い、雇用保険(失業手当)を受給することができたため、金銭的な焦りはありませんでしたが、それよりも不採用の通知が届くたびに、社会から不要だと烙印を押されているようで、疎外感や劣等感を強く抱えるようになっていました。そんな現状から抜け出そうと、良かれと思った事はいろいろとやってみましたが、なかなか思うように物事が好転しない現実に苛立ちを覚え、言いようの無いストレスにいつも付きまとわれているようでした。しかし、もがき苦しむ状況の中にあっても、私が「引きこもり」や「うつ病」など、心の病気にかからなかったのは、信仰(神様の約束)が守ってくれたからだと思っています。私たちは生きていく上で、様々な試練に出会います。目の前に起きた困難や問題に立ち塞がれ、どんなに努力しても、何をやっても良い結果が出ないことがあります。そんな時は、心身が疲れ果て、全ての思考が否定的・消極的に傾いてしまいます。それはクリスチャンも同じです。クリスチャンだからといって、特別にハートが強いわけではなく、傷ついたり悩んだり、普通に弱さを抱える人間です。けれども、そんな私たちでも、唯一、心を強められるのは、神様がいつも共にいてくださるという約束(信仰)があるからです。どんな状況にあっても、ひとたび神様に祈ると、先ほどまでの失望感・絶望感がウソのように晴れ上がり、新たな力が与えられ、再び前を向くことができるようになるのです。祈りというと、何かかしこまったような印象があるかもしれませんが、祈りは神様とのコミュニケーションです。コミュニケーションというのは、ラテン語で「他人と共に分ける」という意味になるそうですが、私たちの思いや考え、悩みや願いを神様に伝え、分かち合い、そして神様と心を通わせることが祈りです。孤独や苦しさの中にあっても、神様は私たちの内なる思いを聞いてくださり、励ましや慰め、癒しを与えてくださいます。また、神様は私たちを取り巻く環境や状況をご存知であり、全ての必要を備えてくださいます。今回私は、失業保険が切れる前に、新しい仕事が与えられましたが、日常で起こる人間関係や様々な問題・困難、病気など、絶妙なタイミングで神様が私たちに働きかけ、全てを最善へと導いてくださいます。祈りは神様との親しい交わりです。クリスチャンは祈りを通して、心が整えられ、様々な気づきや指針が与えられます。そして何より、祈りは私たちの心を平安で満たしてくれるのです。「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしはあなたがたに私の平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネの福音書1427)


本当の平安(40代・女性)

20194月、父が亡くなりました。(クリスチャンは、亡くなったことを「天に召される」と言います。)残り少ない日々を自宅で過ごしてもらおうと、訪問介護・看護、自宅看護の方法を医師やケアマネさん達と打ち合わせた当日の夕方でした。私はその打ち合わせに参加した後、職場に戻っていましたが、あまりに突然急変したので、最期を看取ることはできませんでした。ただ、召されるその時、母が歌う讃美歌と祈りに送り出され、平安に包まれ天国に凱旋したと聞きました。誤解を恐れずに言えば、神さまは母が自宅看護で苦労する前に天国に連れて行ってくれたんだと思います。その父が生前、通っている教会で話した内容(教会では、「あかし」と呼んでいます)が書かれた紙が出てきました。そこには父が、神様を信じたことでどのように変わったか、記されています。

一部、読みづらい言い回し等もありますが、本人の原稿をそのままお分かちしたいと思います。 

 

「あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、

私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。」(詩篇7120)

 今年で75才(注:2017年時点)を迎え、過去を振り返ると、大病の連続でした。心臓弁膜症の手術、大腸がん、前立腺がん、膀胱結石、心臓と胸部大動脈の同時手術…と全て危険なところを主の御業によって救われたことを主に心より感謝しています。

今日は病気のことを話すと長くなりますので、今から35年前の交通事故について話してみたいと思います。

当時、心臓手術をして1年後の出来事でした。会社の仕事で、いつも通り慣れている道を運転中、突然左側から、原付バイクを運転する60才位の男性が猛スピードで、一時停止を無視して飛び出してきたので、「あー危ない、当たる」と思い急ブレーキをかけたと同時にバイクは車に接触して右側に横転して止まり、すぐに駆け寄ると意識が無く、ただ大きないびきを掻いている状態でした。これはただ事ではないと思い、すぐ警察に通報、5分位で救急車とパトカーが到着、相手の方はすぐ病院へ搬送され、そして警察官の立会のもとで現場検証、あまりに突然の事で頭の中が錯乱状態で夢を見ているような状態でした。

午後から警察署へ出頭、事故の事情聴取、そして警察官の指示で、すぐ病院へ見舞いに行くように言われ、祈る気持ちで病院に行き、病室に入ると相手の方は頭は包帯で巻かれ、横にはモニター付きの心電図が正常に脈を打っていました。医師の診断の結果、ヘルメットを付けていないための脳挫傷とのことでした。

 しばらくすると心電図の脈が乱れ一直線になり、医師が駆けつけてきて死亡が確認されました。あまりに突然の事で謝罪の言葉も出ず、ただ頭を下げるのが精一杯でした。

その日の夕方、ご遺族の前での事故当時の状況説明、数日後、お通夜そして葬儀に参列、悲しみの中でのご遺族の前での焼香は、針のむしろに立たされた心境でした。特に息子さんの憎しみに溢れる険しい視線は今でも覚えています。これで一連の義務が終わり、あとは判決を待つのみとなりました。

時が過ぎると気持ちも変わり、自分を正当化するために事故の現場に来て、何度も事故再現しましたが納得する結果は出ませんでした。

そして一か月後判決が決まり、免停3ヶ月10万円以下の罰金とわりと軽い刑でした。それから6ヶ月後、保険会社、そして双方の会社が窓口になり、相手側は通勤途中、こちらは業務上過失傷害という事で示談が成立、民事訴訟も無く無事和解ができました。

これで終わりではありませんでした。その後不眠と悪夢にうなされ、夜中に近所に聞こえる位の大声で罵声を浴びせたり、蹴りを入れてベッドから何回も転落したり、妻は危険を感じていつもベッドの隅で小さくなって休んでいました。

その後60才で教会に行くようになり、自分は自己中心で、相手のことを考えず、罪人であることを聖書で学びました。

  今は全てを主にゆだね、罪を悔い改めることを心がけています。


年をとっても(40代・女性)

2011年、東日本大震災の年に洗礼を受けました。
洗礼を受けて10年が経とうとしています。
その数年前から、イエスさまが真の神さまであり、生まれてきてから、今まで、そしてこれからの罪も全て消し去り永遠のいのちを与えて下さることを知り、心で信じていました。
大震災があったことで、更に魂の救いの尊さを身に染みて感じ、全ての人が神さまの救いを受けることができますようにと願いました。
しかし、人間は弱いものです。特に私が弱いのかもしれません。
主日(日曜)に教会に行き、礼拝を捧げていましたが、頭の中は仕事や生活のことで一杯でした。ただ、自分の気分(感情)が心地良くなるから、友達と会える楽しい時間だから、教会に行くという日が多かったです。
私は洗礼を受けてからも3度の手術を受けました。
中でも1度は死んでしまいたいというくらいの痛みと苦しみがありました。
「なぜ、神さまを信じていても、辛いことがあるのだろう?」
「早く、神さまのもとに行きたい」などと、思う時もありました。
私は神さまを信じていたら、何の苦労もなく、痛みもなく、ただ幸せに生きられることが信仰の報いだと勘違いしていました。
そんな考えはただのご利益信仰であり、主を仰ぐ信仰とは違ったのです。
人は皆、幸せになりたい一心で何かにすがります。私の場合、仕事と間違った信仰でした。
40
歳代後半となり、特にここ数カ月、手術の後遺症と重なり更年期症状がひどくなりました。今まで簡単に出来ていたことが出来ず、身体の変調もあり、自分が自分でないような感覚に陥り、泣くことが増えていました。仕事ができることが偉いと心で思っていたのでしょう。自分で出来ること減り、自分はダメな人間…と責める気持ちもありました。
その時にいくつかのみことばが心に染みわたりました。
「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、私は背負う。」(イザヤ書464節)
年を重ねると、失っていくものがたくさんあります。健康、見た目の美しさ、体力etc
私は失うことを恐れていましたが、年をとっても白髪になっても、神さまが私を背負ってくださることを知り、改めて、神さまの無限の愛を感じることができました。
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」(マタイの福音書54節)
今まで、自分は強い方だと思い込んでいたのに、それが違ったと分かり、悲しみの中で神様と再度出会い、神さまに委ねる人生があることを知りました。
パウロが弱さを誇ると言っている意味も少しは理解できたかもしれません。
この10年、神さまに沢山の文句を言ってきたのに、それでも離さず愛し守ってくださったこと、いつでもどんな時でも共にいて下さること、年をとっても私を背負って下さることを感謝します。そして、これからは真の信仰者として歩めますようにとお祈りします。


すべてのことを働かせて益としてくださる神様(50代・女性)

それぞれの人生にそれぞれの試練・苦難があります。それは突然にやってきます。

私にも今まで生きてきて2回、どうしようもない苦難が襲ってきました。

2回とも仕事が原因なのですが、そういう時は夜も眠れなくなり、手・足・髪の毛根にジワジワと汗を感じ、朝になると吐き気がとまらなくなります。

1回目の時は、まだ神様を信じていない時でした。

しかしそのことがあったからこそ、聖書を読み、教会へ行くきっかけとなりました。

2回目の時は、不可能なことをやらなければならない状況に追い込まれました。

不可能とはいえ、少しでも可能になるよう状況を変えなくてはなりませんでしたが、どんどんその道は閉ざされました。

焦りばかりが先立ちましたが、自分の力ではどうにもできない状況まで追い込まれていきました。

この時は教会に通い、聖書を読み、神様を信じていましたので、コリント人への手紙第一103

「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。

神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないようなことはなさいません。

むしろ耐えることのできるように、脱出の道も備えてくださいます。」

という箇所の「耐えることのできないようなことはなさいません」というみことばを握りしめながらなんとか頑張ろうと思っていました。

しかし最終的に「神様、もう私にはこの問題はどうにもできません。あなたは脱出の道も用意して下さっていますから、私はそちらに進みます」自分の手の中に握りしめていた問題を手放し、神様に全てを委ねました。

その次の日のことです。今まで私が考えていた道とは全く違い、私の想像を遥かに超えた道、その状況の中での最善の道が用意されました。それはキセキが重なったとしか思えないほど驚くものでした。

まるで最後に置いたオセロのこまによって、全てのこまがその色にひっくりかえるような感覚でした。

この経験を通して神様を信じる信仰が強められました。

渦中では本当に苦しく、もう二度と経験したくない苦難ですが、この経験があったからこそ、今も神様を信頼し、神様と共に歩むことができるのだと思うと感謝です。 

ローマ人への手紙「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」


神様からの贈り物(女性)

 2020年12月20日(日)私は清水聖書会でクリスマス礼拝後、洗礼を受けました。

その時に感じた教会での様子についてお話しいたします。私は半年前に自分の意思では到底及ばない、神様の導きによって、清水聖書教会を訪れました。日曜礼拝に通うようになり教会の方々とかかわり、イエス様を信じる方々はとにかく優しく、自分よりも他人を思いやり、今のこの殺伐とした世の中にこんな場所があったのかと思うほどピュアな空気が流れていました。

半年後そのような愛に満ち溢れた場所で、私は洗礼を受けられることをどの求道者よりも幸せだと思っていました。洗礼式が始まり、完全に自分の身体が暖かい物で包まれているような感覚を覚えました。神様の愛と教会の家族の方々の祈りと聖霊様の働きがひとつになり、私に注がれた時間だったのです。今でもその時の様子を思い出すと胸が高鳴ります。

洗礼式が終わった後は天使のラッパが私の頭の上でずっと鳴り響いているように、その日はなかなか寝付けないほど高揚していました。

今日の信仰のはじめての歩みを忘れず、清水聖書教会の信仰の家族と共に聖書のみことばに堅く立って、イエス様を知らない方々に、イエス・キリストの十字架の愛と魂の救いの喜びを伝えたいと思っています。

私を清水聖書教会に導き、洗礼まで授けてくださり、救いの恵みを与えてくださった神様に感謝し、神様だけにすべての栄光を現わします。

 「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです」コリント人への手紙第二18


神様の奇跡(清水聖書教会牧師・60代・男性)

 私にとって牧師の働きは一言で神様の奇跡です。神様は驚くばかりの出来事で私の牧会と日本の宣教の働きを導いてくださっています。3年半前、清水聖書教会の新会堂を建築する時も、教会員みなさんと一緒に神様の助けと奇跡を経験しながら、試練と困難を乗り越えて今の礼拝堂が与えられ、地域の伝道や宣教活動に用いられています。 

それだけでなく、今年1年間、神様は私に数え切れないほどの恵みと祝福を与えてくださいました。神様は私の説教研究のために韓国のキリスト教未来研究所に導いてくださいました。牧会の働きの中で一番重要なのは説教です。日本の福音派では専門的に説教を研究するところがあまりなくて、神様にその道を開いてくださるように20年前からお祈りを続けました。誰かの推薦や紹介なく自分で探しましたが、その研究所を見つけられるように神様がお祈りに答えてくださいました。研究所が創立してから20年間、私のように自ら探して参加したのは私が初めてで、研究所のスタッフを始め一緒に研究する韓国の同期の牧師先生たちもみんな驚いていました。 

これは、私の計画や意志ではなく、神様からの一方的な計画と導きであり、神様が起こした奇跡です。研究のための教会の役員を始め協会員みなさんの祈りによる応援に心から感謝します。

何よりも私の牧会、日本と世界の宣教の働きに、招き、導き、一緒に働いてくださり、一番必要な時に説教研究に専念するようにすべての環境を整えてくださった神様に感謝します。


2度助けられた命(70代・男性)

 今から数十年前に振り返って見ると、命の危機に遭いました。1度目は昭和の終わりの年末でした。胃潰瘍で吐血し、瞬時に意識が無くなり、その場で倒れ、救急車で病院に搬送されました。部屋の中で倒れたので命が救われました。この時、車を運転中でしたら今頃自分はいません。

その後、平成十六年頃には、今度は胆のうに石が数十個留まり、胆のうが腐る様な症状になり、腹膜炎になってしまいました(自覚症状がありませんでした)。高熱が続いたので、すぐに入院しました。その後2回手術をしました。ドクターはその時、膵臓まで炎症してたら命とりだったねと言っていました。

2度も命が助けられましたが、この時はまだクリスチャンではなかったのですが、今思うと、この時から神様、又、イエス様に守られていたのかも知れません。 

私はこの道を乗り越えてキリスト・イエス様にたどり着いたのかもしれません。何かまだイエス・キリストの教えを皆に伝道しなさいと言われている様な気がしています。残り少ない人生ですが、少しでも伝道していければ、神様に恩返しできるのかなと思っています。アーメン


イエス様との出会い(70代・男性)

妻の洗礼式の時、義妹に肩を押され、私も洗礼を受け、イエス・キリスト様の教えに入りました。現在でもベストセラーである聖書を読んでもなかなか理解が出来ませんが、イエス様はすべての人を愛して下さいます。私達が今後の人生を委ねさえすれば、この先の人生を導いて下さり、力を与えて下さいます。

振り返れば、父の負傷事故から25年後のダンプトラックによる貨物列車との事故での無事だった体験、その7年後の結婚、これ等は新興宗教の信仰によってのお陰であったとの思いがありましたが、全て神様の導きであったのです。これ等の事故を経なければ、真の神様との出会いは無かったのです。

神様は人をご自身のかたちとして、造られたのですから、何事に於いても、私達は、神様に寄添う生活をすべきです。

今の世が全てで無く、天の御国が私達には待っています。

神様はイエス様を私たちに遣わして下さいました。迷っている人達にイエス様との出会いがありますように、イエス様を信じますように祈っております。

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

 


神さまは不思議なことをなさる(80代・女性)

ご在天の神さま、感謝します。

前に行っていた教会の牧師が召天されてから早3年がたとうとしています。11月3日は(昔は明治節)と私の誕生日でした。その11月3日は毎年いろいろ考えて誕生日を祝って下さいました。F・ジャクソン先生の誕生日は5月2日八十八夜でした。来年は満八十八才でした。来年は何か例年より変わったことを思いました。

ちょうど11月3日はデイサービス羽衣の園でも庭で収穫祭が行われていて昼食を楽しんだり、中高生の吹奏楽でにぎわっていました。お昼を楽しんで帰宅して雑用をしていると午後16:00頃、F・ジャクソン先生がとてもいいお顔で(ニコニコして)誕生日プレゼントを持ってきてくれました。夕食が過ぎて午後18:00電話がありました。一人事故で病院に運んだが証明するものがあなたの電話番号しかなかった。娘さんの住所もわからない(S59年浜松医大に献体を申し込んでいました。そこで又カードのことで大騒ぎ、でも、浜松医大には無事届けられたということでした。

11月3日いつもの年のように一緒に先生と楽しんでいたらと思うとなにか背筋が寒くなりそうな気持でした。ご家族の上に神の祝福と癒しがありますように。 

 「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1:37)


感謝の気づき(60代・女性)

私は以前テレビで、ねむの木学園の子供達の絵を見て、実際にこの目で見てみたいと思い、行って来ました。一つ一つの絵を見て、涙を抑えられないくらいの感動を与えてくれました。完成させるまで、この子達はどんな思いで一筆一筆を描いていったんだろうと思わずにはいられませんでした。どの絵にも優しさと愛があふれていました。私はこの子達の絵を見て、今目の前にある事に無になれる事の素晴らしさを感じました。喜怒哀楽、毎日同じ気持ちで描けたとは思いません。それでも一筆一筆動かし完成させていった子供達には神様の愛を感じました。私はついつい人の幸福をうらやましがったり、心が折れて弱くなったり、怒ったり、本当に日々当たり前の事に感謝を忘れがちな事があります。こんな罪深い私でも神様は大きな愛で包んでくださり、今目の前にある小さな幸福を気づかせてくださっている事に感謝しています。そして日曜の糧をお与えくださる事に感謝しています。


救いの証(30代・女性)

 私は、大学生の時にイエスさまを信じました。大学を1年間休学し、留学したオーストラリアで神さま、イエスさまに出会いました。私はクリスチャンになろうなんて全く思っていなかったのですが、これこそ神さまの導きだと思っています。

留学当初から、私はOCF(Overseas Christian Fellowship)というクリスチャンサークルに所属していました。何回か参加しているうちに、教会に行こうと誘われましたが、私はクリスチャンになるつもりは全くなかったので最初は断りました。でも日曜日はみんな教会に行ってしまい、一人で家にいてもすることがないので、まぁこれも経験のうちと思い私も教会に行くことにしました。

教会では、日曜日の礼拝以外にも、平日に教会のメンバーの家に集まって聖書勉強会を行っていました。私もそこに参加したのですが、私がどうしても納得できなかったのは「神がすべてを創造した」ということです。サルがヒトに進化したと学んできた私には、神がすべてを創造したということを信じることができませんでした。教会の人たちに聞いても、全然理解できませんでした。毎週サークル、教会、聖書勉強会と続けていましたが、神さまを信じるに至りませんでした。

7月になり、短い冬休みに入りました。ある日自宅で料理をしていたとき、手を滑らせて左手の薬指をかなり深く切ってしまいました。血が止まらず、パニックになり、知り合いに近くの病院に連れて行ってもらいました。数針縫うほどの怪我でした。処置を受けている間、自分でも不思議だったのですが、私は「神さま助けて」と祈っていました。医師からは、数週間は水に濡らしてはいけない、という注意事項をもらい帰宅しました。利き手ではなかったものの、やはり不自由でした。食事の準備もままならず、どうしようと途方に暮れていたところ、それから毎日のようにOCFの友達が外に連れ出してくれて、まったく食事に困ることがありませんでした。ある日私は「これは神さまが私のことを愛してくださっているからだ」と気づきました。本当に嬉しかったです。そのことをOCFの友達に話したところ、「君はもうクリスチャンだね」と言われました。とても驚きましたが喜ばしい瞬間でした。私を愛してくださる神さまが存在するならば、この世界を神さまが創造したことも本当なんだろう、と思えるようになりました。 

神さまは、あなたのことも愛しておられます。神さまの愛を知りたいと思われたら、ぜひ教会に足を運んでみてください。


信仰の歩み(70代・女性)

私は中学二年生の夏休み前、昭和31年7月15日に人生が激変致しました。理由は、祖母の死去によりそれまで祖母と父の姉と2人暮らしでしたので姉1人になってしまうことを案じて、父は以前から自分の5人娘の1人を姉の養女にと、考えていたようです。《後から聞いたのですが》それで北海道の富良野から清水に有無を言う間もなく連れて来られました。

熱心なクリスチャンだった両親は、祈りのうちに、神様から与えられた行動だと、思います。そのことは今では理解でいるのですが当時は何で私なの、と言う思いが随分長い間ありました。

ただ清水のいわ養母は更に熱心なクリスチャンでした。自宅を家の内教会として開放して居たのです。そこで私は、礼拝の準備、水曜祈とう会の準備、お茶だし等の手伝いがありました。

その内、清水女子高(現清水国際高校)に入学致しまして、基督教の基礎を学ぶ機会を与えられ、就職、結婚、三人の子育て、そこにいわ養母が寝たきりになり、牧師さんが高齢になり、息子さんの居る長野県に引っ越しされ、教会は閉じざるを得ませんでした。その後3~4年介護が続きまして昭和50年11月15日に召されました。

その翌日16日信徒の友人が同信会の小川礼二先生から洗礼を受けました。いわ母のお祈りに神様が機会を準備して下さった事とただ感謝しかありません。

その後、教会をあちこち模索して居たのですが、石ケ谷きく姉と里美姉がたずねて来て下さいました《平成11年3月》そこで4月から清水聖書教会にお世話になっています。

(この石ケ谷きく姉は戦前に、家の内教会で洗礼を受けられた方です)

(里美姉は、家の内教会で日曜学校に子供のころ参加しておりました)

(面牧師先生は、何度も訪問して下さいました)

平成12年4月から韓牧師先生が赴任して来て下さいまして感謝です。

夫の勇さんが毎週礼拝に参加してくれることが感謝でございます。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」(Ⅰテサロニケ5:16-18)

このみことばを頂き多くの恵みと平安を感謝しつつ、ご計画通りの道を歩みたく願います。


祈り(男性)

現在、私には4歳過ぎの孫娘がいます。

千葉県市川市に住んでいます。

2年ほど前、孫は川崎病にかかりました。

総合病院に入院しました。

孫の両親や私の家内たちで付ききりの看病が10日ほど続きました。

私は自宅に一人残り不安な日を過ごしました。

その中で、私は、3日間、夜の7時から2時間以上続けて、祈りの時をもちました。

“孫が全快するように!”と意識と力を込め、さらに声を上げて、一人なのでなりふりかまわず祈り続けました。私は長年、教会内で祈る時は、周りの人々に気を使い、言葉に注意しながら祈ってきました。

しかし、3日間の夜の祈りは私にとって初めての時間でした。

あんなに、根を詰めて、祈ったことはなかったです。

祈りが終わると、声はかすれ、疲れでめまいを感じたほどです。

今後よほどのことがない限り、あんな祈りはないし、できないと思います。

しかし、不思議なことに、3日目の祈りが終わると疲れてはいましたが、気持ちが落ち着き、自信のようなものが出てきました。

その後、家内から連絡が入り、孫は元気にハシャイでおり、元気すぎて困るとのことでした。

私は“神に祈りは届いたかな”と感じました。 

時々“神に届く祈りとは何かな??”と考えることがあります。


祈りの奇跡(50代・男性)

今から3年前の夏の出来事です。

ある日、右足首が突然痛み出し、仕事にも支障が出るほどになりました。しばらく様子を見ましたが一向に痛みが治まらず、とうとう歩けなくなったため、整形外科を受診しました。ところが、原因がわからず、とりあえずの痛み止めを処方され、松葉杖での歩行を余儀なくされました。

当初、痛風の疑いがありましたが、何回かの通院・受診の結果、痛風の疑いはなくなりました。しかし、相変わらず原因は分からず、症状も治まらず、不安な日々が続きました。

ある日、当教会の牧師である韓先生に、足の痛みがあること、原因が不明であることを話しました。

先生は、痛むところに手を置いて祈って下さいました。すると、その日を境にみるみる症状が改善しました。数日後には、足の痛みも見事に引き、松葉杖無しで歩行できるまでに回復し、日常生活を取り戻すことができました。

日常生活の様々な困りごとにも遠慮しないで祈ること、そして信じて祈るその時に、神さまが働いて最善をなして下さることを経験しました。

教会では、弱っている人、悩む人のために祈っています。みなさんも、自分の痛みを神さまの前に注ぎ出してください。疑わずに、信じて願うなら、神さまが最善の時に最善の方法で解決を与えて下さいます。

ヤコブの手紙51516「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」


主のなさることは時にかなって美しい(70代・女性)

 父が癌で亡くなった時、母が癌になった時、息子が亡くなった時、悲しみに暮れ立ち直れないと思いました。でも、その時々に色々な人を用いてみことばを語ってくださり悲しみを希望に変えて下さいました。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者の書3章11節)

このみ言葉は日々の生活の中でも、自分の思い通りにならなかったとき主が最善をなして下さると確信させて下さり、いま何をすべきかを考え直す導きをしてくれています。

身体の衰えを覚えながらも主が日々導いてくださっていることに感謝しています。

でも一方、与えられた仕事が私のキャパシティーを超えていると主に訴えながらも神様の恵みに感謝しています。 


ギャンブル依存症がイエス様に癒された(70代・女性)

 私はギャンブル(パチンコ)依存症に近い状態でした。仕事が休みの日は行きたくて朝からウズウズしていました。そういう状態の時に弟のお嫁さん(義妹)と姪っ子に「まだパチンコ行ってるの?止めたほうがいいよ。」と言われ、「分かったよ」と言いながら止める気もなく行っていました。

或る日、姪っ子と義妹が「お義姉さん、一度教会に行きませんか?」「おばちゃん、今のままだと地獄行きだよ。」と言われ、地獄には落ちたくないと思い、誘われるまま教会に行くようになりました。2ケ月ぐらい経ってから洗礼を受けました。神の子になる意味も理解しないまま受けました。その後も私はパチンコに行っていました。

姪っ子が或る日、「おばちゃんイエス様がこれが最後と私に言われたよ。」と伝えに来ました。それを聞いて地獄へ行くのはイヤだから教会に行くようになったのに、このままだと地獄行きになってしまうと思い、パチンコに行くのを止めました。今まで周りの人達が「止めたほうがいい。」と一生懸命説得してくれていたけど、「行ってないよ。」と嘘を言って、行ってました。でも、イエス・キリスト様の「これが最後。」のお言葉に止められました。いかに偉大なるお力のあるイエス・キリスト様!これから先もイエス様を信じ、どこ迄もついて行かせて頂きたいと思っています。

 

ヨハネ福音書146節「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」アーメン。


全ての道を神が備えてくださる(70代・女性)

 大学進学のため、横浜の母の知人宅に4月からお世話になり、電車での通学が始まりました。初めての夏休み、清水でのアルバイトに精を出していました。

 私の家から2~3分の所にあった教会から夕方になると、太鼓の音とともに集会のお知らせをする声が聞こえてきました。高校時代の友達からこの集会に来ないかと誘われ、当時珍しかった外国の先生のお話を聞きに、天幕伝道会に行ってみることにしました。天幕の中で、宣教師ダビデ・マーティン先生が熱心に話していました。集会最後の日、先生は、「神様を信じますか」と言われ、私は手を挙げました。ただ信じました。先生のお話が分かったのではなく、信じました。

 学校が始まる9月に三保の海岸で洗礼を受け、次の日横浜に帰りました。心が少し高ぶっていました。牧師先生から紹介された教会は、毎日電車の中から見ていた教会でした、その中に入ると学生会に連れていかれ、そこに高校の先輩がいたのです。神様が私のために準備していてくれたことがわかりました。

 当時横浜では、自分は田舎者でしたし、県外にも余り出たこともない者でしたから、分からない事ばかりで、先輩に教えてもらい心強かったです。いつも先輩は私のために祈り、励ましてくださいました。

 下宿のおばさんとの関係にも変化が出始め、わがままな私には、文句がたくさん出てきました。安いお金で置いてもらって迷惑をかけていることも忘れていました。そんな時夜の伝道会の先生の話がぐさりと心に刺さり、自分は罪深い者だと思いました。人を思いやる心もなく、自分のことだけに目を向けていました。それが罪であり、悔い改めました。神を信じるとは、自分の罪を神の前に言い表し、悔い改めることだと教えられたのです。                                  

 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。(ローマ10:10) 


必要を満たしてくださる主(40代・女性)

 10年以上前、長子が1歳を過ぎ、保育園に無事に入れ仕事復帰の直前、私は大けがを負いました。頭部を19針縫うけがと右橈骨遠位端骨折、1週間の入院と手術で手首にプレートを入れ、骨を固定することになりました。1週間の入院ですから、子どもは主人が全てすることになりました。

退院後もプレートを入れているとはいえ、骨折をしているので腕に固定具を付けての生活でしたし、退院2週間後には仕事復帰をするという慌ただしさでした。

それでも私の家庭が満たさせていたのは神様が必要を満たしてくださっていたからに他なりません。骨折はしましたが、手首だったので腕を使って子どもを抱っこすることが出来ました。小児科もベビーカーを押して通える範囲にありましたし、どうしても車が必要な時は妹が仕事を融通して運転をしてくれました。頭部を19針縫いましたがほとんど目立たない状態まで治っています。右手首の骨折でしたが、箸を左手でも扱えるため食事にも困らず、良い理学療法士の方がいたため、骨折後のリハビリも問題なく終わり、子どもの頃から習っている楽器が以前と同じように弾けるように回復しました。

なによりも主人が積極的に育児をするようになりました。今までも不参加ではありませんでしたが、育児休暇中の自分の方が時間があったため主人にあまり頼んだりはしていなかったのです。しかし、仕事復帰をするならば本来はもっと早くから互いに積極的に育児をしなくてはいけなかったのに、そのことにけがをするまで気が付いていませんでした。

入院・手術をする程のけがは端から見れば恵みでもなんでもないかもしれませんが、そのけがで今もある不利益はありません。逆に、主人が積極的に育児に参加してくれるようになったため、二人目、三人目の育児も大変なことはありますが、一人の育児ではないので辛くてたまらないということはありません。

このけがは私が私の必要なものがわからないような時でも、主が準備をしてくださって私に与えてくださる、そう確信できる大きな恵みでした。


本当の神様に出会うまで(60代・女性)

私は20数年、自分と家族の幸せを求めて新興宗教を信仰し、お金や時間、家族を犠牲にして必死でした。生活のすべてを捧げ、そのルールに則り生きてきましたが、頑張っても頑張っても生活は苦しくなり、心の平安がなく「いつになったら幸せになれるのだろう?」と思いながら続けていました。段々とこの生活から逃げ出せたら楽になるのではないか…と疑問を持つようになっていました。
60
歳の時に転機が訪れました。ある日本人宣教師の一冊の本を娘から手渡されました。私はショックを受けました。自分の信じている新興宗教が偽物の信仰であることを知りました。
本物の神さま以外を信じることが大きな罪であることを知りました。本物の神さまはイエス・キリストであると確信を得ました。その本物の神さまの元に一秒でも早く行きたいと強く思い、娘がお世話になっていた牧師を訪ね、2週間後には洗礼を受けていました。
クリスチャンであった娘や、その周りのクリスチャンの方々が、私の救いを毎日祈り続けてくれていたそうです。祈りは届くものだと分かりました。
「今いまし、昔いまし、やがて来るべきもの、全能者にして主なる神が仰せになる『わたしはアルファでありオメガである』」(ヨハネ黙示録18節)
本物の神さまであり、主であるイエス様は盲目であった私の心の目を開いてくださいました。間違いであった新興宗教を信仰していた時ですら、神さまは見守ってくださり、私が生まれた時からイエス様は共にいてくださったのだと思います。すべての創造主である神さまの愛と奇跡で救われたことを心から感謝しています。
今も本物の神さまを知らず苦しんでおられる方が、本物の神さまであるイエス様と出会い真から心の平安を得ることができますように祈ります。
私はこれからも永遠に救いである主を賛美していきたいと思います。
 


天国への切符(40代・女性)

私は早産・低出生体重児で、しかも双子でした。双子の妹は、様々な障害を抱えていたため、生後3日で亡くなっています。また私は、本当にETみたいだったと両親がいうほど、かわいくない赤ちゃんでした。母方の祖母は、こんな私を、自分の娘が産んだ子だと認めませんでした。今のような超音波技術等もなかった時代、生まれるまで双子だとは気付かなかったこともあり、双子の妹に対する申し訳なさと、私を嫌う祖母への反感から、母は私を過保護に育てました。

幼稚園から鍵っ子だった私は、近所のお姉さんとよく一緒にいました。自分が仲間に入れてもらうために、お姉さん達の言うことをよく聞きました。実はこのお姉さん、世間的には不良と呼ばれる人たちで、万引きの仕方を教えられたり、空き巣の見張りをさせられたりしました。空き巣に関しては、私があまりにも小さく、よくわからずに見張りをしたので、私だけ警察からのお咎めはなかったらしいのですが。

小学校低学年の頃は、父親の入退院等が続き、度々祖父母のところに預けられました。私は、幼心にも自分が祖母から嫌われていることを感じていましたが、せめて存在を認めてもらうために、良い子でいる必要がありました。学校に行ったら行ったで、先生に認められるためには、授業をよく聞くとても真面目な良い子の振りが得意でした。しかし過保護に育てた母親に対しては、本当に口汚くののしるような子でした。

このように私は、善悪の判断が正しくできない、人の顔色が善悪の判断基準になるような者でした。

小学校6年の時、近所に英会話教室ができました。そこがキリスト教の宣教師が始めた教室だと知らずに通った私でしたが、やがて教会に誘われ、教会学校に行くようになりました。良い子の振りが得意な私は、とても真面目に話を聞いていました。でも自分は良い子だと思っていたため、少しも自分のこととして捉えていませんでした。

そんなある日、いつものように教会学校でお話を聞いていた私は、初めてドキッとしました。それは、たとえ自分が悪くなくても人を恨むことは罪である、という内容でした。私は小学校の低学年の頃、クラスの男子達にいじめられていました。そしてそれを、ずっと恨んでいたからです。初めて私は、自分にも罪があると知りました。そして、自分では悪いことだとは気付かずにやっていた、小さい頃からの数々の罪が思い浮かびました。人前ではいくら良い子に見せていても、神さまはすべてご存じであるということも知りました。

また、教会学校で1枚の絵を見ました。上半分には、狭く険しい道を光り輝く天国に向かって歩む人、下半分には広く大きな道を悪いことをしながら進む人々、そしてその終着は地獄でした。罪をもったままの人間はやがて地獄に行く、けれどもイエスさまを信じて罪を赦された人は天国に行けるということを知ったのです。私は、今までの罪を神さまに告白し、天国への切符をもらいました。

 『すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。』(ローマ3:23-24)


神様には無駄がない(30代・女性)

 去年の夏に体調を崩して神様のすごさを感じた話です。

 今から3年前から健康診断の血液検査で貧血と診断され、半年に一回ごとの検査で徐々に判定が悪くなっていきました。でも私は風邪もめったにひかず、ひいても市販の風邪薬を飲んで一晩ぐっすり寝れば大抵は治りました。そのため病院にはほとんど行きませんでした。健康診断でも血液以外の判定は全部Aでした。そのため健康には自信がありました。

 去年の夏、朝一で健康診断を終えて家に戻ると、問診したお医者さんから電話がありました。ヘモグロビンの数値が異常に低く、通常の人の3分の1にも満たないというのです。すぐに近くの内科に行き、鉄剤を処方してもらってくださいと焦った様子で教えてくれました。でも、立ちくらみをするわけでもないし、息切れするわけでもないから大丈夫だろうとそのままにしていました。すると徐々に息切れをするようになって、1か月後には、駅の少し多い階段を上るだけで、ゼーハーと激しい息切れがして、少しの間立ち止まって息を整えなければなりませんでした。また早歩きするだけでも息が上がるので、仕事に遅れそうで少し走っただけで激しい息切れがしました。座って仕事しているにもかかわらず、めまいがすることもありました。常にだるい感じがして、どんなに睡眠をたっぷりとっていても体に力が入りませんでした。夏場ということもあり、出勤して仕事をするという普通のことがすごく大変でした。原因を考えると生活習慣を変えたわけでもないのできっと貧血のせいだろうと判断して、いよいよやばいぞ、体が限界を訴えていると感じてやっと近くの内科に行きました。健康診断の結果の紙を見せるとお医者さんにすごく驚かれてこんな数値でよく生活しているね。辛いでしょうと言われ、すぐにその場で点滴を受けました。すると体に力が入るようになって、動くのが楽になりました。血液ってこんなに体に影響を与えるんだと驚きました。そして、1日に2回の鉄剤を処方されて欠かさず飲みました。2週間後には息切れしなくなりました。こんな短期間で効果を感じるなんて、私ってそうとうやばい状態だったんだなと改めて思いました。先月の健康診断の結果では、平均の値の3分の一から半分の間の数値へとだいぶ上がって来ていました。今は早歩きや階段を上っただけでは息切れしません。

 私は貧血を軽く考えていました。目に見えなくても体を動かすための無くてはならない大切なものだと気づきました。それで思い出したことがあります。私は小さい時になんで爪ってあるんだろうと疑問に思ったことがあります。みなさんは思ったことありませんか。すぐに伸びて面倒だし、ひっかかれると痛いし、何の役にも立たないと思っていました。でも、ちゃんと役割があると知りました。指先からの細菌やカビなどの感染を予防したり、爪があることで物をつかむことができるし、力の入れ方を調整して細かい作業ができます。また、足の爪には体を支えて踏み込む力を強くしたり、バランスを取る役割があるので、爪がないと踏ん張ることができず転びやすくなるそうです。内臓などに病気があると爪の色や形が変わるので目安にもなるそうです。そう考えると人間の体って無駄なものがないんだなあと感心しました。それと同時にそんな人間の体を造りあげた神様の精密さに驚きました。人間の体は小さな宇宙だと聞いたことがあるけど、本当に神秘的です。自然を見るだけでなく、自分の体を見ても神様の素晴らしさがわかりますよね。私は自分がきちんと管理をしなかったために、貧血で大変な思いをしましたが、でもそれで神様のすばらしさをまた一つ発見することができました。まだまだ暑い時期が続きますのでみなさまもお気をつけください。


委ねる人生(50代・女性)

 はじめて聖書を手にしたのは、東アフリカに位置するケニアという国でした。仕事上で親しくさせていただいた牧師夫妻の招きにより、日本人のクリスチャン達が集まる家庭集会に参加したのがきっかけです。アフリカは時間感覚が日本とは違い、とてものんびりとしています。「アフリカンタイム」とも呼ばれ、約束した時間に遅れてもあまり悪びれる様子もありません。もちろん、官公庁や学校、オフィス、銀行などは時間通りに始業するのですが、私が携わっていたプロジェクトの訓練生達は、時間という概念があまりないのか、適当な理由を付けては、ほぼ毎日遅刻をしていました。しかし、文化の違いを理由に遅刻を容認するわけにもいかず、彼らへの働きかけをどうすればよいのかと思いあぐねていました。そんな時、スタッフとの会話から、9割の訓練生がクリスチャンであることがわかったため、聖書のアダムとエバ(神様から禁じられた果実を食べ、エデンの園を追放された)を引用し、「言い訳」という切り口で彼らにアプローチをしてみることにしました。すると、次の日から、誰ひとり時間に遅れる者はいなくなり、聖書効果の絶大さを目の当たりにしたのでした。それからというもの、訓練生の生活指導をする際にはできるだけ聖書を用いるようになり、聖書を開く機会が増えると、次第に私自身の考え方も変えられていくのがわかりました。それまでの私は、人生は自分で切り開くものだと考えており、何事も努力を惜しまず一生懸命に取り組めば、その努力は報われ、結果が得られると思っていました。しかし聖書には、神様の恵みは、無償で与えられるものだと書かれてあり、恵みを受けるために頑張らなければいけない努力しなければいけないとは、どこにも記されていないことに気づきました。それどころか、聖書には『あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます』(ヨハネの福音書157)というように、誰でも求めれば神様の恵みが与えられると書かれています。また、神様の恵みは行いによるものではないことが、『事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです』(ローマ人への手紙916)に記されています。これまで、物事を自分で何とかしようと生きてきた私には、とても衝撃的なことでした。しかし、家庭集会で出会ったクリスチャンの病を通し、自分の力ではどうすることもできない事態に直面した時、その思い煩いを神様に祈り、委ねる事ができるのは、「恵み」なのだということを学びました。そして、その時に示されたのが、『すべての道で主を認めよ。そうすれば主はあなたの道をまっすぐにされる』(箴言36)という聖書の言葉(みことば)でした。どこにいても、どんな状況にあっても、すべては意図を持って定められた「神様のご計画」であることを認めるとき、神様は私たちが正しく前進できるよう整えてくださるという意味です。私たちは未来の事が何もわからないので、どうしても先行きに不安を覚えてしまいます。しかし、委ねるというのは、その先のことを知っている方(神様)に、自分が握り締めていた人生を預けてしまうことだと気づかされました。信仰への入り口は、訓練生の生活指導という褒められた理由からではありませんでしたが、神様は私をイエス様と共に歩む人生に導いてくださいました。今、私たちが生きる社会は不安定で、未来も不透明だと感じますが、ただ神様を信頼し、今導かれていること、与えられていることに心をつくし、期待と希望を持ちながら歩む人生でありたいと思います。


日本食を求めて(40代・女性)

 カナダの留学プログラムに参加した時の出来事です。元々その学校はキリスト教の学校だから嫌だという私を、両親が一番通いやすいという理由で説得しました。キリスト教だからというかただ得体がしれないだけで毛嫌いしていたのです。カナダでは聖書クラスもあるのにわざと聖書を日本に置いていったほど反抗的でした。 

 伝道師のさとこ先生が皆を教会に誘っていてうわさのようになっていました。断っても断ってもいつもにこにこ誘いに来ていました。9月に日本を離れ2か月後、「…来ない?日本食出るよ」何の集まりかはわかりませんが、ちょうど寮の食事とホームシックでくじけそうなタイミングに声をかけられ急に行きたくなり、初めて連れて行ってもらうと、現地の日本人クリスチャンの家庭集会でした。久しぶりの日本人お母さん達の手料理、温かい雰囲気にすっかり心をわしづかみにされた後、皆で丸く囲んで、さとこ先生がサンクスギビングデーのお話をされました。最後に「神様に感謝しましょう」と締めくくられた時初めての思いが心に浮かびました。「あれ?神様って…何?いるの?」「感謝?そんな事考えた事ない」 

 それから夢中で聖書を読みました。読んでいるうちに多くのみことばが、荒れ果てた心にどんどんしみ渡って行き、ある日、感謝の思いがあふれだして、初めて母に感謝を伝えました。私にとって母は、物心ついてから悲しみ憎しみうらみ泣いて過ごした思い出が強かったのですが、全て感謝に打ち消されたような思いに。何より過去の思い出11つ、実は神様が一緒に居て下さったことが理屈抜きに理解できたのです。この出来事や、今まで全力で抵抗していた聖書のみことばをどんどん求める自分が不思議でした。今まで聞いた事がない話や言葉が書いてあるけど、聖書には本当のことが書いてある、そう感じました。 

 昔英語の授業でLoveにはI die for youという意味も持っているというような話を聞いた記憶や、教会の友人や先生とたくさん、話す中、神様は人(私)を愛するゆえに一人息子のイエス・キリストをこの世に送られた。人(私)を愛するゆえにイエス様は十字架で死なれた、という事実を聞かされた時、なるほど、と自然に納得でき、喜んで受け入れ、4人の仲間と洗礼を受け帰国しました。

Ⅰヨハネ416節『神は愛です』


聖書は平安をもたらすもの(50代・男性)

 聖書は約2000年前に完成したとても古い書物ですが、2000年経った今でも世界のベストセラーでありたくさんの人に読まれているそうです。

ネットで検索すると過去の偉人も聖書をべた褒めしています。

「いかなる世界の歴史におけるよりも、聖書の中にはより確かな真理が存在する。」アイザック・ニュートン

「聖書は神が人間に賜った最もすばらしい賜物である。人間にとって望まれるものはすべて含まれている。」エイブラハム・リンカーン

 私は数年前に洗礼を受けたときに、聖書による生活を誓ったことから、聖書を読み続けていますが、分厚く、読みづらい箇所も多く、お世辞にも理解していると言えないのですが、聖書に書いてある一節だけでも心に留めて生活すると平安な気持ちになると思ったことがあります。

 例えば、他人の間違いを見つけ、修正するよう指摘をするときに、「こんなことも知らないのか?こんなくだらないミスをしやがって」など相手を心で罵るような気持ちで指摘すると、その時は指摘された相手は何も反論しませんでしたが、あとで私のミスをみつけられてやり返され、その相手はいつかやり返してやろうと私の粗探しをされていたような感じを受けて嫌な気持ちになったことがあります。そのあとで、聖書のⅠコリント132『あらゆる奥義とあらゆる知識に通じ、また、山を動かす信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません』という一節に出会い、同じような境遇でも、この言葉どおりに相手を気遣う気持ちで接すれば関係性が悪くなることもなく、良い方向に進むと感じます。いくら一点の曇りのない正論を言っても、心で相手を罵っていたり、呪っていたら、それは相手に伝わり関係性が悪くなるだけでなく、自分の性格が歪んでいきそうですが、愛を持って接すれば平安な気持ちになると感じ、Ⅰコリントの言葉は正しかったのだと思わされました。

 聖書には過去の偉人だけではなく、私のような小さい者にも平安をもたらす良い言葉がたくさんある宝の山ではないかと考えています。これからたくさんの聖書の言葉に触れて、たくさんの人たちと平安を分かち合っていきたいと思います。


成長させてくださるのは神様(50代・女性)

 21才の時ワーキングホリデーでオーストラリアへ行きました。シドニーのシェアハウスでオーストラリア人のクリスチャンの人と仲良くなり、聖書をプレゼントされました。その友達はキャリアウーマンで頭がよく、知識が豊富で明るく感情豊かで、回りの人を巻き込み、その場にいる人を全てHappyにさせてしまう人でした。当時、その友達との会話は、とても楽しかったのですが、聖書の話や、イエス様の話になると、少し戸惑いがありました。小さい頃から年4回のお墓参りは必ず行き、先祖の供養はかかさないが、宗教というものに一線をおいていた家庭に育った私には、その話になると、「またその話になるのか。」と、嫌悪感すら感じました。しかし、友達の生活そのものが神様と共に歩んでいるのがわかりました。そんな明るい友達でも、落ち込む時や、怒る時はとても激しかったのですが、お祈りをした後、顔つきまですっかりにこやかな顔に変わっていることが多く、それを見て、少しキリスト教に興味が湧きました。

 オーストラリアから帰国して、異国で働きながら暮らせてこれたという、少し変な自信、勘違いしてしまった部分もあり、また若い時に苦労すれば、何か人間的に成長できるような気がして、自分には合わない職についてしまいました。結局、悩み、苦しみましたが、すぐに退職してしまいました。自分の罪に気づかされ、自分を責め、自分の人生を否定し、全てをネガティブに考え、前に進めなくなりました。心配した高校の友達が、ドライブやカラオケに連れ出してくれるものの、根本的な解決にはならなくとても苦しみました。そんな時にオーストラリアの友達からもらった聖書を開き、少しずつ読むようになりました。『すべて疲れた人、重荷を負ってる人は、私のところに来なさい。私があなたを休ませてあげます。』(マタイの福音書11:28疲れきっていた私は、教会に行きました。『神の国とその義をまず求めなさい。そうすれば、それに加えてこれらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』(マタイの福音書6:33~34神様は私達が成長していくため、生きていくために必要なものを用意して下さっていますし、私達が耐えられない試練は与えません。心配せずに神様を信じ従っていくことが大切だと思いました。

 教会生活を長く続けていても、何度となく、ネガティブ思考はやって来ます。そんな時は、心沈めることなく、心静め、聖書を読み、神様に祈り、神様にゆだねます。


本物の成功は与えられるもの(40代・女性)

 幸せになりたい・・・30代のころ、強くそう思うようになりました。結婚に失敗したこともあり、周りの人と比べて焦っていたのだと思います。男性とも戦っていました。その頃は「何かを成し遂げなければ幸せになれない」「人生の成功は仕事の成功」「お金持ちになること」だと思い、成功するための自己啓発セミナーや、経営者セミナーなど東京まで通い、有名人とお会いしたりすることで自分が偉くなった気がしていました。働いたお金のかなりを費やしていたのに、簡単には事業も軌道に乗らず「こんなに頑張っているのに上手くいかない」と悲しく思うようになりました。外側は強がりの性格なので、誰にも頼れず孤独でした。しかし、そのセミナーで「聖書」が人生の成功の原点と教えてくれる講師がいました。私は藁をもすがる思いで、「聖書」を知りたいと教会に通うようになりました。ある日、このみことばが心に入り、涙が止まりませんでした。『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ書43:4) 神さまはありのままの私を愛してくださって、ダメな私ですらも高価なんだと言われた感じがして、肩の力が抜けました。そして本物の成功とは、この世の地位や名声やお金ではなく、神さまが与えて下さる愛を受け取ること、心の平安だということに気付きました。神さまと出会い、掴み取ろうとしていた私の人生は変わりました。受け取ることが必要だったのです。今では、必要な経済はすべて満たされ、ステキな夫も与えられ、平安な日々を過ごしています。神さまは私たち一人ひとりを愛し、必要をすべて満たしてくださる素晴らしいお方です。何人かの友人も神さまであるイエス・キリストを受け入れ、今、幸せの中にいます。日本だけでなく世界も緊張感のある大変な状況ですが、多くの頑張っている人に神さまと出会い、平安が与えられ、本物の成功を受け取ってほしいと祈っています。


教会に来たきっかけは私の片思い(60代・女性)

 クリスチャンではない家庭で育った私ですが、なぜか教会が運営する幼稚園に通っていたので、教会学校(子ども向けのプログラム)に自然と行くようになりました。母が持たせてくれた献金を教会の前の店で使ってしまうことが度々ありましたが、それを悪いとは思いませんでした。

小学5年生になったある日、カトリックのミサ(プロテスタントでは礼拝と言います)に行ってみようと思いました。ミサの時に女性たちがかぶっているレースがブライダルベールのように見えてとっても綺麗だったからです。その日は決心してカトリックのミサに行きました。門の中に入ったとたん、「私は神様に罪を犯した」と思いました。そこに留まることはできず、すぐに出て来ました。それからは教会の礼拝にもカトリックのミサにも行かず、月日が流れて行きましたが、「イエス様が私を待っている。いつか教会に行かないといけない」という思いが心から離れませんでした。

高校を卒業した年の秋にみんなで山に登ろうという計画を立てました。同級生の男子達に声をかけましたが、もう行ってきたと断られました。「困ったなあ。一緒に荷物を持ってくれる人がいない。どうしよう。」と思っていると、ある子が知り合いの男友達を連れて行くから大丈夫だと言ってくれたので、登山することに決まりました。

日帰りで1,950mの山を登りました。私は今まで3回その山に登ったことがありましたが、いつも友達が助けてくれてやっと登りきるような状態でした。楽しいなと思って登っていると、ある一人の男子が「頑張って歩いてますね」と声をかけてくれました。私は友達が連れて来たよく知らない男子だったので遠慮して「はい」とだけ答えました。下山してみんなで食堂で夕ご飯を食べて解散しました。

一か月ほど経ったある日、登山のメンバーで遊ぶことになりました。登山の時に私に声をかけてくれた人の兄が経営する店に集まりました。そこで、みんながよくその店で遊んでいること、私に声をかけてくれた人が誰かの彼氏ではないことがわかり、とても嬉しかったです。実はその人に一目ぼれしていたからです。その人はクリスチャンでした。その人に良く見せるためにまた教会に行き始めました。付き合うようになりましたが、彼はみんなに優しくて人気者だったので、みんなには内緒にしていました。

再度教会に行くようになった目的はその人に振り向いてもらうためでしたが、礼拝をささげるうちに、みことば(聖書のことば)が心に入って来て、イエス様に関心を持つようになりました。イエス様は神様の子供であり、私を罪から救うために十字架で死んでくださった。3日目に復活して永遠のいのちを与えてくださった。救い主だと信じるようになりました。

私は今その人と結婚して子どももいて、幸せな信仰生活を送っています。私にはその人がきっかけなったように、誰にでもイエス様を信じるきっかけがあります。例えば、あの人が気になる、おいしいものが食べられるなど、きっかけはどんなことでもいいです。どうぞ、難しく考えないで、教会に遊びに来てください。あなたの人生をひっくり返す素晴らしい出会いがあります。イエス様は今あなたを待っておられます。 


私のことをすべてわかっておられる神様(30代・女性)

 幼い感じの証しで少し恥ずかしいですが、私は食べることが大好きです。普段は東京に住んでいて、週末に清水にある教会に行っています(今はコロナの影響で東京でスカイプ配信で礼拝に参加しています)。そのため、土曜日は実家に泊まるのですが、普段は両親とはあまり連絡を取り合いません。仲良し家族ですが、私も母もマメに連絡をする方ではないからです。

何年も前のある冬の日、清水に向かう電車の中で「最近、おでん、食べてないなあ。」と考えました。家に着くと、玄関先でおでんのにおいがして、母が夕食に作ってくれていました。母にはおでんが食べたいとは一言も言ってないのにです。最初は本当にびっくりして鳥肌が立ったのを鮮明に覚えています。聖書にはこのように書かれています。『主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。……ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。』(詩編139:1~4

聖書に書かれていることって本当なんだな、神様って本当に生きているんだな、と改めて実感しました。そしてとても力が湧いて来たのを覚えています。自分でも気づかない内に疲れていたようです。神様は私が思っていることだけでなく、私の状態まで把握している。私が食べることが好きだからこうやって明日も頑張れよって励ましてくれてるな、私はこんなにも愛されているんだなと嬉しかったです。

このようなことは今も起こっています。もしかしたらもっと前からあったのに私が気づかなっただけかもしれません。これからも生きている神様をもっともっと体験してみんなに伝えたいです。